子どもの頃、ピアノ、フルート、
クラシックバレエを習っていた。
だから、クラシック音楽は身近な存在だった。
今でも、疲れた時は、
音を小さめにしてクラシックを聴いている。
先日、佐渡裕さんの
『僕はいかにして指揮者になったのか』を読んだ。
佐渡さんは、一回の演奏会で大量の汗をかいて体重が三キロも落ちるそうだ。
それだけ指揮をしながら動いている。
指揮台の上で動いていることについて、それは決してパフォーマンスではないという。
とにかくその音が欲しいがために、また引き出したいがために、そうしているのである。人にどうみられるかということより、自分の音楽を表現しようとすると、自然とそうなるのだ。
『僕はいかにして指揮者になったのか』佐渡裕
欲しい音のためには、何をしてもいい。欲しい音のためなら素っ裸になってもいい。
そんな気持ちで指揮台に立っているのだという。
関西弁で語られる言葉が、
心地よくて、臨場感があった。
音楽の奥には、
こんなにも人間味があるのだということを知った。
指揮者によって、異なる欲しい音。
同じ曲がどう違ってくるのか、ということに興味が湧いてきた。