幼い頃、父が北海道のお土産に「愛国駅から幸福駅行きの切符」を透明のプラスチックホルダーに入れた、小さなキーホルダーを買ってきてくれたことがある。
愛国駅から幸福駅だなんて、まるで想像上の駅のように思えたが、本当にあると聞いて驚いたのを覚えている。幸福駅は、かつて北海道・十勝の帯広と広尾を結んでいた国鉄広尾線の駅。1987年の国鉄民営化を機に廃線となったものの、取り壊されることなく今も残っている。
父が買って来てくれたキーホルダーは、ちょっと照れ臭いけどカバンにつけて愛用した。
今はもう手元にないけれど、時折、その小さな透明のホルダーを鮮明に思い出すことがある。大人になった今では、「幸福駅」という言葉の奥に、子どもの頃には気づかなかった深い意味を感じるのだ。
数年前、北海道の親戚を訪ねていた際に、六花亭の施設「六花の森」に案内してもらった。私が六花亭のレーズンバターが好きだと話したことがきっかけだった。
北海道らしいまっすぐな広い道を車で走っていると、「幸福駅はこちら」という小さな看板が目に入った。
気をつけていなければ通り過ぎてしまいそうなほど、さりげない標識だった。思わず私は「わぁ、幸福駅だって!」と声をあげた。
すると親戚は、「昔の駅だよ。とくに何にもないよ」と言って通り過ぎようとした。私は、口をギュッと結んで膨れてみせた。そして「待って、行ってみたい」とお願いした。全く、地元の人は近くにある素晴らしきものを素通りするんだから。

幸福駅は、かつて人々が実際に利用していた駅舎。どんな人が切符を手にし、どんな思いで「幸福駅」に降り立ったのだろう。寒かったのかな。暑かったのかな。
駅舎の中に入ると、願い事を書いた「幸福切符」がびっしりと重なるように貼り付けられていて、あたり一面がピンク色に染まっていた。そこには、訪れた人々の思いがギュッと詰まっていた。
そこには、訪れた人々の思いがぎっしりと詰まっていた。
私は、その光景を眺めながら、幼い頃に父が買ってきてくれた小さなキーホルダーを思い出した。なくしてしまった切符だけれど、心の中では今も、あの透明のホルダーを握りしめているような気がする。
父は、どんな気持ちで、あのお土産を買って来てくれたのかな。
今は、もう聞くことはできないけれど、きっと私が喜ぶ顔を思い浮かべながら私が幸福をになりますようにと祈りながら、買ってくれたのではないかな。
そんなことを考えながら幸福駅の前に立っていると、すでに幸福に包まれていることに気がついた。
幸福であるかどうかは、自分の気持ち次第だ。
大切なことに気づかせてくれた幸福駅。やはり、この幸福駅には人を幸せにする力があった。
そう思えた瞬間、父の顔が浮かんだ。
父に伝えたい。
「あのキーホルダーのおかげで、幸福駅にたどり着けたよ」と。

幸福駅に行った時にことを記事に書いたよ。→記事はこちら